2012.3/18「人として生きる。」
昨日は、寝落ち(良くない。中だるみ。)したため、書かなかった。
「人として生きる。」これは、今日友人と話しながら考えた事だ。
大きく別けて3種類の人としての生き方があると思う。
1. 普遍的な事を追求する。
これは、例えば宇宙の真理、物質の仕組み、自然の仕組み、動植物...などの追究、要は俗にいう研究者という生き方である。
普遍的な、曖昧な事を歓迎しない、物事の追究・研究。人の知的好奇心から生まれる生き方。
2. 人にインパクトを与える生き方。
経済、法律、社会、文学、芸術、発明、教育...これらは、まとめて人に関係する学問である。(芸術とは普遍的...ではない。)
例えば、携帯電話を開発する、法律を作る、文学でベストセラーを出す、新たな金融のシステムを作る、新たな時代の教育を押し進める...全て、人にインパクトを与える生き方だ。誰かに影響を与える生き方だ。
例えば、携帯電話によって人のライフスタイルは大きく変わった、1つの小説によって多くの人が感化された、新たな金融のシステムで経済の流れが変わり結果的に人の働き方を変えた...
大多数の人は、この、人にインパクトを与える生き方、を目標として生きていると思う。各々の分野で。
3. 歯車となる生き方。
もちろん、世界には、宇宙の真理を研究する人や、何か発明や創作したり、社会のシステムを作る人ばかりではない。むしろ少数だ。
では、残りの大多数はどう生きているか?
それは、他人の歯車となる生き方だ。自分自身に特に志も知的好奇心もなく、日々暮らしてゆければいい。極論、3大欲求で動いてる人々だ。
しかし、これらの人々を否定は出来ない。この様な大多数の人々で人間社会はなりたっている一面もあるからだ。ブームなどは、その典型である。大衆というものが無ければ成り立たない。
これらの3つの生き方。私は当然1か2で生きていきたいと思っている。私の場合は特に2だ。
そして、願わくば、全ての人が1か2の様な心持ちで生きていけば、人間社会はより面白くなると思う。将来的に自分がその人間社会の実現に少しでも協力出来れば良いと思う。教育等の分野で。
せっかく人として生まれて来たからには、そう生きていきたいと強く思う。